初めての仕事です!スパーク江波店にて「悠悠タウン江波 介護相談コーナー」を開催しました。
今後も、月に1度開催していきたいと思いますので、在宅生活されている要介護度3~5の方を介護されておられる家族方々などお待ちしております!
日々の生活を気ままにつづった日記帳。
初めての仕事です!スパーク江波店にて「悠悠タウン江波 介護相談コーナー」を開催しました。
今後も、月に1度開催していきたいと思いますので、在宅生活されている要介護度3~5の方を介護されておられる家族方々などお待ちしております!
平成28年6月1日より広島市から委託され「広島市在宅生活継続支援事業」という支援をしていくこととなりました!相談員として左右田(そうた)が、在宅生活されておられる要介護度3~5の方を介護されている家族等の方々に在宅生活が継続できるよう支援していきたいと思います。
中区平和ビルにて第4回江波圏域多職種連携会議を開催しました。
「認知症周辺症状のある高齢者を地域で支えていくために~入院時期の見極め~」をテーマにグループワークを行い、
医師・歯科医師・薬剤師・訪問看護・介護支援専門員・行政・地域包括がそれぞれの立場で何ができるのか?など話し合いました。
グループワークの後には、広島第一病院院長の松岡龍雄先生に講評をいただき、
今後の認知症高齢者の支援についても助言をいただきました。
4回目になると参加者同士で名刺交換がいらないくらい「顔の見える関係」つくりはできているように思います。
来年度以降、この会議をどのように発展させていくのかを小委員会で検討していきたいと思います。
会の開催にあたり吉田医院の吉田先生、舟入山本内科の山本先生、サザンクリニック整形外科内科の山本先生をはじめ,
関係者の皆さまには大変お世話になりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
10年以上前に、ヘルパーとして、訪問していた頃の話です。
マンション上層階の部屋、一枚の写真の前で、その女性はいつも読書をされていました。
(娘婿が地中海の片田舎で写した、陽だまりの中、白い石の建物、木の椅子、犬が一匹歩いている、光と影のコントラストが素敵な写真でした)
ふとした会話から、「私も本は好きですけど、根気がなくて、読むのは短編物ばかりです。
何でもすぐにやってみますけど、続かなくて・・・」と、言うと、その方は、「何でも出来て、いいじゃないですか。それが一番ですよ」と、優しく言われました。
その言葉は、自分の飽きっぽいというコンプレックスを、そんなに気にしなくていいかもと、思わせてくれました。
足の不自由なその方にとって、好きな時に、好きなところへ行けて、何でもやってみる事が出来る私を、「それだけで十分よ」と言う、気持ちだったかもしれません。
その後、ケアマネジャーになり、職場も変わり、その方とは、それきりになってしまいましたが、何年経っても、そのマンションの前を通ると、あの時の言葉と、なぜだか部屋の写真を思い出します。
今も、人との出会いの中で、私の、ちょっとやってみる、は続いています。
最近は、俳句をされているお二人と出会い、思いついた時に俳句を作り、訪問時に披露しています。
俳号をお持ちで、若い時から投稿を続けてこられた方々です。
お一人は真剣に推考してくださり、もうお一人は拙い私の俳句を、「うわぁ~、いいですねえ」と、目を輝かせて褒めてくださいます。
車椅子生活で、もう俳句は卒業したと言われ、外出はされていませんが、俳句を通して、同じ景色を感じてくださいます。
モミの木に冬の星を飾りつけ
川面に映る橋の影も凍る夜
今年はどんな年でしたか
来年が良い年になりますように
めかたサンの『撮影隊がやってきた!』
たかはらサンの『健康を意識した生活』につづく第3弾!
ニューフェイスのおおくぼサン・・・
居宅では、年の順にブログをアップしています。
だから、タイトルが・・・
【3番目です!(年の順(^_^メ))】
今年の2月、私の人生は大きく変わりました。
今年1月30日、長年住み慣れた埼玉に別れを告げ、(夫を埼玉に残し)一人で夫の実家に引っ越しました。
夫の実家を義理の姉と生活できるようシンプルな家に建て替え、義理の姉と二人暮らし。
仕事は悠悠タウン江波居宅介護支援事業所で拾ってもらい、2月1日デビュー。
長男の嫁として色々考え、身辺整理。
自分や家族で納得した別居(4年間の期間限定別居)です。
多くの人は「何考えてるの!?」と心配されますが・・・
最初は、一人では何もできず後悔。
しかし、仕事柄、ご利用者様の家や病院、施設等、広島市内を車やバイクで出かけて行くことが多く、今ではどこへでも一人で行くことが出来るようになりました。
10ヶ月過ごすうち、一人暮らしは気楽で楽しいと思えるようになり、満喫しています。
(埼玉に残してきた夫も良かったと言っています)
私は「やりたいことノート」を作り、すぐにメモして実行出来るようにしています。
最近のやりたいことは・・・
『バイオリンを弾けるようになる』
『成年後見をしたい』
『娘の結婚式を海外で行い出席したい』等々
私には有言実行の『か・き・く・け・こ』があります。
か:成すべきことは 紙に書く
き:成すべきことは 希望を持つ
く:成すべきことは 口に出す
け:成すべきことは 決意し継続する
こ:成すべきことは 行動する
私が介護保険の利用者になった時にはケアマネにニーズを伝え目標が達成できるよう支援してもらいたいと思っています。
これからも、ひとつひとつ夢を叶えていきます。
水泳を始めて4年が経ちました。
30年前に患った椎間板ヘルニアと付き合いながら、毎日負担をかけない様に過ごしてきましたが、水泳と出会い人生が変わりました。
水の中では腰への負担も減り、リラックスできて、ダイエットにも効果があるようです。
ビールが大好きな私も・・・
なんと!!!
ウエストが10cmも細くなりました!!!!!!??????
水の中を歩いたり、泳いだり・・・プカプカと浮いています。
階段の上り下りも楽になるし、水の中では絶対に転倒しまん!?
週に一度、村山富一元総理に似た優しいコーチ、美男・美女の仲間たちと楽しく2時間ほど泳ぎ、家でもストレッチや体操を心がけています。
今では、体も楽になってイキイキと生活しています。
夢は、100歳になっても泳いでいる事です。
健康を意識する事、日々の積み重ねがとっても大事だと感じました(*^_^*)
高齢者には小さな段差も転倒の原因になります。
少しずつ健康を意識する事で、心身共に健康で楽しい生活を送る事ができ、介護予防にも繋がりますね (#^.^#)
今年は被爆70年にあたるので、基町のNさんに昭和20年8月6日の話を聞かせてもらった。にゃーすはまだ生まれていなかったので、ちゃんと聞いておきたいと思ってお願いをして訪問させて頂いた。
昭和20年8月当時は15歳だった。竹屋町に祖母、兄夫婦、私の4人で住んでいた。
女学校を勧められたが断って、トヨタに4月に就職し、あの日も千田町の会社にいた。みんなピカッと光ったと言うけど私は記憶になく、気づいたら会社が倒壊していて、社長も同僚もいなくなってどうなったか覚えていない。ケガもしていなかったし何ともなかったので、必死で外に出て逃げた。その時には、千田町も建物が倒壊していて焼け野原ではなかったが後から火が出て焼けた。千田小学校で祖母に会い、兄を探しに広島市内中を歩いたけどわからなかった。その時に出会った人は、やけどがひどくて顔がわからない、目が出ているような人が沢山いた。竹屋町の自宅に戻ると、大きな柿の木が焼け焦げていて、五右衛門風呂の釜、米を入れていた甕だけ残っていた。甕の中の米は真っ黒焦げだった。
福屋の前の銀行にいて、兄夫婦を探していたが見つからず、銀行にいつまでもいられないので広大のグランドで寝泊まりした。従妹にも会えたけど火傷をしてて、「水を飲ませたら死ぬので飲ませてはいけない。」と言われていたから飲ませなかったのに、自分で川の水を飲んで朝起きたら亡くなっていた。警察に届けたら自分達で火葬しろと言われ、火葬場なんてないから広大のグランドに瓦礫を集めて従妹を火葬した。食べ物もお金も何もないので、着物を売ってお米、果物、野菜に替えていたけど、警察に見つかって全部持って行かれたこともあった。うちは、祖母の貯金があったから1ヶ月3000円で生活をやりくりして、売家を1000円で買って竹屋町へ移動させることができた。まだ周りには1件も家がなかったけど、川べりには男の人がいる家は瓦礫の木、板で家を作っていたよ。今の中央公園の辺りだけどね。
うちは家の外に少し土地があったので、草木も生えないと言われていたのに野菜を植えたら野菜が出来てた。焼け野原になった後は、土地の区切りなんかわからないし、誰の土地かもわからないから、土地に住んだ者勝ちだった。そこで結婚したけど、祖母、子供を食べさせていかないといけないので、祖母が作った料理やおむすびを復興工事をしている所に行って売ったりもした。あの時には生きていくのに必死だった。
もう、はっきり思い出せんこともあるけど、原爆投下後にすれ違った人達の姿は忘れられない。あんなことは、2度と起こったらいけん。」
戦争を知らない私達が、戦争の話を聞いて知っておくことも大事なことだと、改めて感じた夏だった。
この前はいろんなことにチャレンジしているKさんのお宅にお邪魔してみたにゃ。
この日はパン作り。お宅にたどり着いた時ちょうど発酵が完了していて、具材も準備してあったにゃ。すぐに成形から開始でき、スタッフのことを気遣って使ってくださるとても素敵な方だったにゃ。スイッチの多い高性能のオーブンもパパッと使いこなしていて格好良かったにゃ~。
そして、パン屋さんみたいに、たくさんの総菜パンを焼いてて美味しそうだったにゃ。
あんぱん
ウインナーパン
マーマレードパン
コーンとチーズパン
ブルーベリージャムパン
食パン
アップルリング
シナモンリングなどなど
まだまだいっぱいの種類を作れるそうだ。
とっても美味しくて、スタッフにも大人気なんだって。人気はウインナーパンとコーンとチーズパン。にゃーすも焼きたてを食べてみたかったにゃ~。
とても楽しそうだったので、別の日もついて行ってみたぞ。
今度は、集中して黙々と何かを作っていたにゃ。覗き込んでみると、とても丁寧に赤い糸で革を縫い、売り物みたいな素敵なカードケースを作っていたにゃ。根気のいる作業に打ち込んでいる姿が、キラキラとして輝いていたにゃ。そのほかネームカード入れや、手帳いれなども作っているのだと。本当にいろんなことにチャレンジして、エネルギーにあふれているように感じたにゃ~。
Kさんはパソコンにもチャレンジしておられ、悠悠タウン基町のため部署ごとに季節に合ったポスターを毎月作ってくれるのだそうだ。体がしんどかったり忙しい毎日なのに、人のために頑張っている姿。にゃーすも見習わないといけないにゃ~。
またぜひお邪魔したいにゃ。
久しぶりに覗いたら、新しい職員が入ったみたいだったにゃ。
看護師と作業療法士にインタビューしてきたぞ!
もう慣れてきたのかにゃ?
<看護師 一宮 春水>
昨年12月1日から勤務しています看護師の一宮春水と申します。
訪問看護師として働きはじめて半年、基町アパートにも利用者様にも少しずつ慣れてきました。
私の趣味は読書、映画鑑賞、旅行、食べ歩きなどです。ショッピングセンター内のお店にもたまに出没しますので見かけたらお声をかけてくださいね~。
基町の皆さまのお役に立てるよう頑張ってまいりますのでどうぞよろしくお願いします!
<作業療法士 村上 桂子>
今年の1月1日より江波から基町事業所に異動になりました、作業療法士の村上桂子と申します。こちらに来て5カ月になりますが、まだ複雑な構造の基町アパートの中で時々迷子になっております。
訪問リハビリでは、一緒に目標を立て、そのために何をしたらいいかを一緒に考えるよう心がけています。
私の趣味は料理や着物で最近はテニスも再開しました。旅行も大好きです。中でも食べることが大好きで、おいしいものに出会ったら自ら作ってみるのが私の楽しみの1つになっています。
これからも頑張っていきますので、いろいろ教えて頂けたらと思います。
よろしくお願い致します。
かげながら応援するにゃ。
♪春がきた 春がきた どこにきた~
山にきた 里にきた ゆうゆうにきた~♪
春の温かさに、はな歌が出る季節。みなさんはお元気ですか?
いつも元気120%の基町にゃんたろうです!!
街の桜もほとんど散ってしまい、カープには桜が咲きません(泣)
木々もカープも大輪の花を咲かせて欲しいものですね…
4月から基町のヘルパーステーションにも新入団選手(?!)じゃなくて
新人職員さんが入ってこられました(喜)
そこで、にゃんたろうから新人さんの紹介をするにゃん。
☆悠悠タウン江波からフリーエージェントでやって来た即戦力ルーキー
松本 和也 (年齢非公表)←ウソ。33歳です *写真左側
特養一筋13年、決意も新たに基町ヘルパーとして活躍します!
~本人コメント~
【三冠王を取ります!!】
『初めての在宅で、とても緊張しています。悠悠タウンに就職した時の
フレッシュな気持ちを思い出し、利用者さん・家族さん・地域の方と
誰からも愛されるように頑張ってまいります!』
☆今年、専門学校を卒業したばかり、誰が呼んだか平成の怪物ルーキー
桑原 太史 (21歳) *写真右側
見た目は、ゆるキャラ。でも中身は、優しさと逞しさをあわせ持つ好青年!
~本人コメント~
【新人王を取ります!!】
『より良い介護技術を身につけて、ひとりの人を大切に!!をモットーに
介護のルーキーとして成長します!』
う~ん…にゃんたろうのボケに二人共乗ってきたにゃん(汗)
コメントの点数は・・・70点(笑) 意気込みは100点満点!!
いずれにしても、基町のヘルパーとして頑張ってくれることでしょう!
二人の頼もしい新人の活躍に期待するにゃん!!
これからも益々パワーアップした基町ヘルパーを宜しくお願いするにゃん。