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【基町悠吉のつぶやき⑮ 原コラム№3】

「胃ろうにしないという選択」

もし、親が食事が進まなくなり、先生より胃ろうを勧められたとしたら、
自分であればどう考え悩み、どちらを選択するだろうか。その立場になってみないと
何ともいえないのが本音であるが、今回は「胃ろうにしないという選択」をされた方の
紹介をしたい。

先日台風が去った日の夜、特養ホームに入所されている93歳の方の娘さんから、お母さん
の近況について電話を頂いた。 「最近は吸引もしてもらってて。」と言われながらも、昨日
入院先の特養ホームより1日だけお母さんを自宅に連れて帰り、「桃や葡萄を食べさせたんです。」
と満足そうな声が弾んだ。
昨年秋、特養ホームにお母さんが入所されてから丸1年が過ぎようとしている。
娘さんの声を聞きながら、今までの平坦でない長い道のりを思い返した。

4年前の初夏、自宅で嘔吐され脳出血で病院に救急搬送後、ICUで意識のない状態から
徐々に回復はしたが、食事開始となって以降必要な栄養量がとれずに担当の先生より
胃ろうの話がご家族にされた。
その時も娘さんより相談の電話を頂いた。「食べれない日もあり、食べれる日もある。
食べれる日は大丈夫だと思うし、胃ろうにすることはあまり気が進まないんです。
先生に返事しないといけない。どうしたらいいんでしょう。」と初めての迫りくる決断に
戸惑い迷い、でも何とか今母親にできることはしたいという思いが伝わってくる相談だった。
娘さんの気持ちに沿うように「できることをしてあげてからでも、遅くはないのでは?」
と返事をした。

それから、娘さんは妹さんと二人三脚で目を見張るような頑張りをされた。
毎日病院に通い、母親に付き添い、声かけし、昼夕と食事介助され、本人の好物を持参され続けた。
思いが通じたのか母親は自分で飲み物を飲もうと手を伸ばすまでになり、とうとう先生が
「このままいけば、胃ろうの必要はない。」と診断された。

その後も推して知るべし。
病院から老健へ、老健から在宅へと毎日毎日夏から秋、秋から冬へと通い続け、春先には
念願の自宅に帰ることができたのである。
自宅の窓から満開の桜を眺めることができた母娘の気持ちは如何ばかりだったろう。

今は在宅介護の時代といわれている。
介護者の負担も思いも人それぞれであるが、もし自分だったら、自分の親だったら、と考えると
疑問符がつくのである。
ベットに横たわる母親を想い、自分の体調は二の次にして、毎日通うことができるだろうか、と。
「胃ろうにしない」と選択できるだろか、と。