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『お別れの会』を開いて

 「絹子ちゃん、今日はご機嫌いかがですか?」
仏壇の前に座り、この問い掛けで私の一日は始まります。
絹子は平成27年9月19日に94歳で永眠した母の名前です。
母は昨年9月8日の昼、嘔吐で体調を崩し、救急車で緊急入院しました。
その後、病状が悪化し懸命の治療・看護の甲斐無く9月19日午前1時51分静かに息を引き取りました。
病名は誤嚥性肺炎でした。
私にとりましては突然の母との別れでした。
私は当初、半分信じられない状況の中、通夜・葬儀が終了し、次に大きな喪失感におそわれました。
10月に入り少し落ち着いた頃、私は「何をして上げたら絹子ちゃんに喜んで貰えるかしら?」と考えるようになりました。
一生懸命思う内「そうだ!お別れの会を開いてあげよう」と閃きました。
新聞やテレビで見聞く「○○さんのお別れ会」の様に・・・。
お世話になった方々に母とのお別れをして頂きたい只その一心でした。
ご案内すると反応は様々で驚かれた方が多かったです。
私自身も途中でご迷惑ではなかったかしらと思ったのも事実です。
当日10月16日(金)夕方6時、ケアマネジャーさん、訪問看護ステーション、内科の看護師さん、スタッフの方々総勢18名ご出席くださいました。
自宅で手造りのささやかな会でしたが、沢山の皆様にご賛同頂きまして母は喜んで呉れたと思います。
生前母は多くの方々にお世話になり大事にして頂く幸せな毎日を送り、亡くなりました後もお集まり下さいました事に感謝感謝の一時でした。
「絹子ちゃん、よかったね!!」亡き母と私の幸せな夜でした。

                         吉田峰子

※娘さんの希望で実名で書かせて頂きます。

 私は吉田さん母娘と4年前に利用者さんとケアマネとして出会いました。
母の絹子さんは生活のすべてに介助が必要でしたが、娘の峰子さんはいつも楽しそうでした。
昨年9月、心の準備をする間もなく大切なお母様を亡くされ、どうされているかと心配していた頃、
「芸能人の様で恥ずかしいんですけど・・・偲ぶ会を・・・」とお誘いがありました。
私もはじめての事で少し驚きましたが、峰子さんらしくて思わず笑ってしまいました。
『お別れの会』では絹子さんの思い出を語り合い、峰子さんの決意表明(就活)も聞く事ができました。
とてもあたたかい良い会でした。

私にとっても幸せな夜になりました。


峰子さんへ

私は吉田さん母娘の笑顔しか思い出せません。
お母様は最期までとても上品で奇麗な方でしたね。
手厚い介護の賜物だと思います。
お疲れ様でした。
担当させて頂き、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
                         
                         澄川由華