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基町『洋裁・仕立ての達人Aさん』

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 ご相談をいただいてAさんのお宅に伺ったときに、ドンっとそびえていたのが、【写真1枚目】の足踏みミシンです。話の区切りが付いて、どうしても気になったミシンについてAさんに尋ねると、出てくる、出てくる、また出てくる・・・何が出てくるのかというと、Aさんが仕立てた洋服の数々! あれもこれもと、沢山写真を撮らせていただいたのですが、紙面の関係でここでは1点だけAさんが仕立てられた洋服【写真2枚目、3枚目】をご紹介します。

 Aさんのお話「このミシンは工業用でね。昭和39年に購入した物なんです。当時私は島根県の浜田にいたんですけどね。当時は既製服なんてほとんどなくてね。オーダーメードがよく売れたんですよ。年の離れた兄がいたんですけど、すごく良くしてくれてね、『中途半端はいかん』と洋裁の専門学校に入れてくれただけでなくて、当時は1年2年通って就職する人が多かったんですけど、私は3年も通わせてもらって師範科を卒業しました。おかげですごく高級な洋裁店に入れて、縫子として腕を磨かせていただきました。土地柄、船乗りの奥様がよく仕立てに来てくださっていましたよ。広島に来てからも金座街の仕立て専門の洋裁店で働かせていただきました。私は仕事で服を作るだけじゃ飽き足らなくてね。家に帰ってからも洋服を作っていたんです。このコートは自分のですけどね。ポイントはボタンです。既製服だとどうしても皆同じようなボタンでしょ。でも仕立てだとボタン屋さんに行って、自分が一番気に入ったボタンを選んで作れるんですよ。このボタンはね、1個千円もしたんです。お金をかければいいって話じゃないですけどね。値段は高くても安くてもいいんですけど。兄が『中途半端はいかん。良い物を作りなさい』とよく言っていたのでね。自分が作るのは最高の物じゃないといけないという意識がずっとあるんです。そこは兄の影響が大きいのですが、愛着が湧くボタンを洋服に付けることで自分の服になると私は思っているんです」

 Aさんは眼の病気を患っており、ここ数年ミシンを踏んでいないそうです。「もう針を通すこともできません」とAさん、続けて「それでも人と洋裁の話をするのは楽しいですね。それに編み物とか刺し子とか私が知らないことを知ることができるんですよ。私にもまだできることがあるかもしれないと思えるんです」と最近参加されている地域の洋裁サークルでの出来事を話され、その表情は笑顔でした。