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基町にゃんたろう「ヘルパーの移動支援~利用者さんと共に学ぶ~」

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皆さんこんにちは~
にゃぁ(はぁ)………⤵ 新型コロナの感染防止対策はいつまで続くのかにゃ~(涙)
…皆で頑張るにゃん!
にゃぁ(では)、気を取り直して、すっかり春らしくなった基町からお知らせにゃん!
悠悠タウン基町の皆さんは、地域の皆さんに少しでも役に立とうと毎日頑張ってるにゃん。
今回は、その活動の一部を紹介するにゃん!

林東植(イムドンシク)さん84歳。
自分らしく生きる林さんを陰ながら支えるヘルパーさんの移動支援にゃん!
それではヘルパーさん、張り切ってどうぞ~~~!

「基町の高層アパートに住む目の見えない林さんは、広島市立中央図書館に通われます。悠悠タウン基町のヘルパーは、週に一回、白杖を持つ林さんの右腕を抱えるように支えながら約30分間一緒に歩き、行きと帰りを安全に移動できるようにお手伝いしています。移動時の留意点として、①林さんのペースを最優先にする②ふらついた時にはいつでも支えられるような体勢を維持しておく③段差や坂道(上り下りを含む)、砂利道などを伝え足取りに注意してもらう④その他景色の変化(季節感)等を具体的にお伝えするよう意識しています。林さんは、よほどのことが無い限り図書館通いを中止にはせず、口調が厳しめでこだわりと意志の強い人。そう考えるヘルパーは、令和3年1月に出版された林さんの自伝である「眼球注射」を拝読し林さんに対する思いに変化が生じました。
 著書には、在日朝鮮人二世として生まれ、小学4年生の時に「ハンセン病(当時らい病)」を発症。学生時代に部活動中、右の掌の肉がえぐれている事に目で見て気づき、水で洗うも痛みを感じず病状の進行に驚愕し周囲に気付かれないよう、やむを得ず部活動を自制する。20歳で岡山県の国立らい療養所長島愛生園に強制収容され、視力のあった両目に注射を打たれて失明。29歳の時に妻と自営の店を切り盛りし社会復帰するも37歳の時に妻が病気になりやむなく店をたたみ、長島愛生園に再入園。65歳の時に基町高層アパートで妻との生活を再開し、図書館通いを始め二度目の社会復帰をされる。盲導犬と共に図書館通いをしていたが、現在はヘルパーの移動支援を利用されている。20年間でボランティアの延べ人数は約1万人。
 赤裸々に林さんの忘れられない記憶が記してあり、差別や偏見そして病と向き合い、たくましく生きている林さんを知り、「20年図書館に通っとる。」の言葉の重みをしみじみと感じる事ができました。これからも林さんが図書館に通う事への想いに少しでも応えられるようヘルパーとしてお手伝いをさせて頂ければと考えています。」

にゃんたろう:にゃんと(なんと)!二回目の社会復帰から20年にゃ~。
その間、目の見えない林さんが著書を二冊も出版にゃぁ!?
皆で支え合えばなんだってできるんだにゃぁ~。
そういえば新聞にも載ってたってヘルパーさんが言ってたにゃ~。
生活歴を知るってことは、利用者さんにとってもヘルパーさんにとっても、とても大切なことなんだにゃん!
林さんもヘルパーさんも一日でも長く元気に図書館に通えるよう、にゃんたろうも応援してるにゃん!!