「やっと終わった…」
1/23(日)ヘルパー2級養成講座(通信制)の修了式が開かれ、8名の方の心の声が聞こえてきました。
修了証を手にし、今後は、ヘルパー2級としてケアにあたることができます。
ぜひ現場に出て、いろんな方々と接して学びを深めてもらいたいと思います。
様々な場面で活躍することを祈っております。
日々の生活を気ままにつづった日記帳。
「やっと終わった…」
1/23(日)ヘルパー2級養成講座(通信制)の修了式が開かれ、8名の方の心の声が聞こえてきました。
修了証を手にし、今後は、ヘルパー2級としてケアにあたることができます。
ぜひ現場に出て、いろんな方々と接して学びを深めてもらいたいと思います。
様々な場面で活躍することを祈っております。
長年、私たち夫婦は紳士服洋品店を営んでまいりました。
陽気で話好きな夫は仕入れや営業を担い、私が店を切り盛りし二人三脚で仕事に励んだものです。
夫は人との出会いをとても大切にし、皆様と語らうことを喜びとしていたようです。
平成九年に体調を崩すまでは商店街の会長を務め、地域の方に支えられながら、
地域振興や神社の大祭などに取り組んでおりました。
祭りの宴で楽しむ夫の、豪快に振舞う姿が今も目に浮かびます。
三人の娘にとっては、優しく頼れる父親でもありました。
成長した娘たちがそれぞれ温かな家庭を築き、安堵していた夫。
療養中に孫たちと風船遊びをしていた、和やかな時間が偲ばれます。
平成22年12月21日、Oさんが79年の生涯を閉じられ1ヶ月が経ちました。
上記は先日奥様から伺った話です。
家族の胸にかけがえのないものを残してくれましたと、涙を浮かべておられました。
今回の話をブログに掲載させていただきたいとお願いしたところ
「賑やかなことが大好きでしたので、夫も喜ぶと思います」と快諾して頂けました。
挨拶など声をかけると「オイッ」という威勢が良く力強い返事を返してくださっていた
Oさんの姿が今でも鮮明に思い出されます。
悠悠タウンのケア方針の1つに、「歴史的・社会的な視点を大切にして援助する」というものがあります。
歴史的とは本人の現在の存在は、長い歴史の中の一場面であるということです。
社会的とは本人を取り巻く環境も含め本人であり、要介護者となっても地域社会の一員であるということです。
ADLや症状にのみに着目しがちですが、家族の温かい言葉に触れ、
改めてお年寄り自身を見ること、向き合うことが私たちの仕事であることを考えさせられました。
毎年恒例となっている初詣に今年も行ってまいりました。
歩くことのできる方が少ないため、外出にはより多くの人手が必要となり特養職員だけではその確保が難しいのが現状です。
悠悠タウンでは、外出ボランティアが組織され月に1回入居者の買い物外出のお手伝いをして頂いたりしています。
今年も、皆さんの協力により行くことができました。
皆さん思い思いに手を合わせておられました。
参加することの難しい方の分まで「健康長寿」を願って・・・。
慌しい日々の中でほんの少し新年を感じました。
「神崎のびのび会」は、毎月第4火曜日に河原町の「神崎会館」をお借りして開催している体操教室です。
今回も前回に引き続き、講師は中村先生でした。
まずは運動を始めるにあたって、①足首まわし、②背伸び、③深呼吸を行ないます(写真 左)
「足首をまわすことで身体に良いことは何でしょう?」
「背伸びをするとどうなるでしょう?」
「深呼吸のとき、息を吸うのが大事?それとも吐く方が大事?」
など、ただ運動をするだけではなく、1つひとつの動作の意味を確認しながら行ないます。
続いて、やわらかいゴムボールを使った運動です(写真 右)
ゴムボールを握ったり、足ではさんだり・・・
もちろんこの運動にも意味があり、説明しながら行ないます。
でも先生が言われるには、
「これを覚えておかなくてもいいんです。大事なのはこの教室に来て、楽しく運動することなんですよ」
とやさしく話されますので、聞いたことを忘れても大丈夫ですよ(^‐^;)
「運動はしたいけど、家で1人じゃなかなか体操せんのよね・・・」
と思われている方はぜひ1度、神崎会館をのぞいてみてください。
次回は、1月25日(火)の午前10:00~11:30です。
新年明けましておめでとうございます。
仕事始めの4日(火)、三味線コンサートが開催されました。
演奏者は悠悠タウン基町・統括主任の藤原さん。
休日などにボランティアとして他施設へ行かれているとの話を聞き、それなら「他施設だけではなくぜひ江波にも」と
お願いしたところ、快諾して頂き本日開催の運びとなりました。
悠悠タウンで働き始めて以来ずっと続けておられるというその三味線の腕前はさすが。
力強く繊細な音色に圧倒されました。
お年寄りの皆さんはというと、まるでご自身が奏でているかのような仕草を見せられる方もいれば、
真剣な眼差しでご覧になられている方など様々でした。
演奏終盤クライマックスで弦が切れるというオチもしっかり準備!?され、新年に相応しい素敵な時間となりました。
「今度はいつきてくれますか?」の声に「来月にもぜひ」という言葉をいただき、またひとり協力者が増えた喜びを感じています。
12月17日(金)、だんらん会で忘年会を行ないました。
今回は、オリエンタルホテルの22階にある「みつき」でランチ。
平和大通りを一望出来る個室で、ゆったりと食事も会話も楽しみました。
綺麗に盛り付けられた食事は、見ているだけでも楽しくデザートまで美味しく頂きました。
だんらん会は、介護予防を目的として毎月第3金曜日10時~12時に
悠悠タウン江波内の地域交流スペースで行っています。
ボールを使用した体操や介護予防体操などをい転倒予防に努めています。
興味のある方は、お気軽にお問合せ下さいね。
江波地域包括支援センター 296-4833 (香川・河本まで)
例年、施設内で行っていた餅つきを今年は2階のベランダを活用し外で行いました。
当日は、天候にも恵まれ絶好の餅つき日和(?)となりました。
とは言うものの、施設が海から近く、川沿いに建っているため海からの冷たい風に、入居者の皆さんからは
「寒い」という声が聞かれましたが、上着を着込みその雰囲気を楽しんで頂けたような気がします。
何よりうれしかったのが、骨折しベッド上での生活を余儀なくされ、以来食事を摂ることが難しくなってきているUさんが、
つきたてのあんこ餅を本当においしそうに1つ召し上がられたことです。
職員に聞くと餅つきがあることを伝えると「食べる」と自らはっきりおっしゃったとのこと。
「施設の中だけで入居者の生活を完結させない」
自然の力を借り、少しでも入居者など皆さんが「生きている」ことを実感していただけるよう、
知恵と工夫でケアの可能性を広げていきたいと思います。
毎月1回木曜日の夕方にヘルパーが集まり、会議を行っています。
会議前に、「今年もお疲れ様」ということも含め、あるヘルパーさんがケーキを焼いてきてくれ、
紅茶等でおいしくいただきました。
ただ、開始時間が15分遅れるわ、お腹がいっぱいになるわ、頭が会議モードに
なかなかならない方もおるわ…。(もちろん会議が始まるとモードを切り替えました。)
今回は、「拘縮がある方の更衣介助」というテーマでサービス提供責任者が講師となり、実技の講習を行いました。
4人1組となり、左片麻痺で拘縮がある方の更衣介助をグループで考えながら、実際に介助の様子を発表し合いました。
復習も兼ね、一つひとつ自分のものにしてケアに生かしていきたいと思います。
11月24日(水)施設の見学とお年寄りとの交流を目的に、江波小学校の2年生93名が悠悠タウンに来所しました。
毎年恒例の企画となっていますが、交流会の子どもたちの感想文が届きましたのでここで少し紹介したいと思います。
●ゆうゆうタウンに行くときはちょっとつかれました。
おふろの見学は、百さいのおばあちゃんが、じぶんのおいわいで、のれんがあるのがすごかったです。
中はほんとうにおんせんみたいでした。
くるまいすのおふろは、ぼくが入れてうれしかったです。
こうりゅう会では、ぼくは、あまりうたがうまくうたえませんでした。
「ずいずいずっころばし」はおもしろかったです。
また行きたいです。
●きのう、ゆうゆうタウンに行ったよ!
おふろがすごく広かったよ!
トイレは、家のトイレより少し大きかったよ!
交りゅう会のときおじいちゃんやおばあちゃんも、うたをうたってくれてうれしかったよ。
かたたたきのとき「気もちいいね。ありがとう」と言ってくれてうれしかったよ。
また、あいたいよ!
●おばあちゃんの手があったかかった。
おばあちゃんありがとう。
エレベーターが広かったです。
子どもたちのまっすぐで温かい気持ちに触れ、将来ある子どもたちに
夢と希望を与えることのできるような仕事をしていきたいと思った。
今年10月5日に病院から入居されたHさん(89歳)が、11月4日に亡くなられた。
入居され約2週間後に心不全により再度入院され亡くなられたので、
関わらせて頂いた期間は非常に短いものでしたが、日々の中で多くの言葉を残された。
「汽車に乗って大島に帰る」
「虹ヶ浜はどこですか」
「江波行きの船のキップが欲しい」等など
山口県周防大島町出身で、50歳の時父が亡くなり広島へ。
私たちが商売をしていたこともあり、子どもの面倒を10年間みてくれた。
江波山にもよく子どもを連れてきていたので江波・舟入には馴染みがある。
その後大島に帰り84歳まで一人暮らしをしていた。
花が好きで、見ること・育てること・生けることが一人暮らし生活の楽しみだった。(娘さんからの情報)
いつも故郷への思いを抱いておられたHさん。
故郷から遠く離れた悠悠タウンであっても、ご家族の側で安心して残りの人生を送って頂きたかっただけに、
急な別れに残念な思いがした。
最後、お別れの挨拶にと思いご本人へ会いに行った。
大好きだったという花に囲まれ、とても穏やかな表情をされていた。
短い間でしたがありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。